【店主ノ話】
クウっていう坊主、いや嬢ちゃんがいなくなってどれだけたったっけなぁ。『カフェかるちえ』は、今じゃ随分と寂しくなったもんだ。たしか前は、あの子が手伝ってくれたおかげで、灰羽見たさに訪れる客もいたっけな。
「なあ、あの灰羽さん、ここんとこ見ないねぇ。どこにいったんだい?」
目の前にいる老人も、よくクウに話しかけていた客だった。クウが空を飛びたいって語る時、いつも頭をなでてやりながら、「きっと叶うさ」と励ましていた。
そうか。クウは飛び立ってしまったのか。どこかで、灰羽はいつか巣立つって話をきいたことがある。あの話が本当だってのか?
じゃああのときの、クウの「さようなら」は、こういう意味のさようならだったわけか?
ある日、店に一人の灰羽が訪れた。確か名前はラッカ。クウがよく話していた少女だ。とても仲が良かったらしい。
「なぁ、お嬢ちゃん……たしかクウって灰羽と仲良しだったよな」
尋ねると、少女は暗い表情を見せるかと思いきや、笑顔でうなずいた。
「はい。クウは巣立ちました」
「あんたは悲しくないのかい?」
「巣立ちは祝福された灰羽の証ですから。喜ばしいことなんですよ」
そうか。じゃあ寂しいなんていっちゃばちがあたるな。
ラッカは豆のスープを頼んだ。テイクアウトなので、すぐに彼女は店を立ち去ってしまった。
喫茶店の中には、今は誰もいない。先ほどいた老人も、いつの間にか代金を置いて、いなくなってしまっていた。
なあ、クウ。どこにいるんだ。いつものように、坊主って言って、からかってやりてぇんだよ。
……今日はもう、閉めちまうかな。
グリの街は西日に照らされ、赤く染まっていた。カラスの鳴き声が、街をこだまする。まるで街が、何かを憂いているかのようだ。
少ない客の残していった食器類を片付ける。
すると、一人店に入ってくる者がいた。
「ここで働かせてください!」
灰羽の少女だった。短くそろえた雪のように白い髪。背中に生えるのは綺麗な灰色の羽。天からの使いのような光輪をたずさえた灰羽は、一瞬クウの生き写しに思えた。
だがそれは思い過ごしだろう。
「こんな閑古鳥の鳴く店でいいならな。いくら働き手がいたって足りねぇくらいだ」
皮肉に、少女は、いつくしむような笑みで答えた。
少女の名前はサユキといった。
【砂雪ノ話】
気さくな店主との日々がはじまった。与えられた仕事は、オーダーをとって、できたメニューを客に運ぶという、単純なもの。それでも、仕事をしているというだけで、今までより、生きているという実感が増すのだから不思議だ。セツカといれる時間が少なくなるのは惜しいけど、これも、ひいては彼女のためと、心のたがを締めた。
働き始めてから、すこしずつ客が増えはじめた。案外と、店主の皮肉は的を射ていたのかもしれない。
普段は明るい店主。しかし仕事終わりに、ときどき呆けた表情をすることがあった。そういうときは、決まってこちらを眺めていた。
「どうしたの?」
「へっ? あ、いやぁ、なんでもねぇ」
聞きとがめると、彼はあわててとりつくろう。しかし、またぼうっと、この身体の向こうにある何かを、見ているような視線を向けるのだ。
働いてから数週間たった。仕事も板についてきたころ、彼は突然語った。
「昔クウっていう灰羽がいてな」
胸の奥が絞られたような感覚がした。
クウ……。
かつてオールドホームにいた灰羽の名。ラッカの親友……。
「ここで働いてたんだ。といっても簡単な手伝い程度だったんだけどな。それで、いつも角砂糖をやって……」
彼は泣いていた。顔は必死に笑みをつくろうとしているが、頬からしたたる雫は、明らかに、悲しみを表しているように思えた。
「お前は、まるであの坊主の生き写しに思えた。お前を見るたびに、空のような明るい笑顔が浮かんでよ。……それが……なんだか苦しくてな」
「あたしはクウじゃないよ」
「そうだな。そうだ。わかっている」
「巣立ちは喜ばしいこ」
言い切る前に、彼が口を挟む。
「ああ……わかってる。わかってるんだ」
彼は頭を抱えた。既に、涙の洪水は収まっていたが、その表情は苦悩に満ちていた。
あたしじゃ役にたてないの?
言えなかった。彼を咎めるような気がして……。
「ニャオン」
「んぅ?」
まぬけな鳴き声がした。声の聞こえた方を見やると、そこには一匹の猫がいた。三毛猫で、どこか気のなさそうな細い視線をこちらに向けている。
「お、お前。生きてやがったのか!?」
愛らしい姿を見て、突然彼が声をあげた。
「この子は……」
「前に、クウが餌付けしてた猫だよ。いつも俺がやった角砂糖で世話をして……。そうか、そうだったか。まだ生きてたか」
店主が優しくその背をなでてやると、猫は気持ちよさそうな声をあげた。
「そうだ、サユキ。今度は、お前がこいつを育ててやってくれねぇか。餌はいくらでもある」
「おじさん」
「こいつはクウとの日々の思い出なんだ。だから大切に育ててやらねぇと……」
「おじさん!」
声を張り上げると、ようやく嬉々として語っていた店主が押し黙った。驚いた表情でこちらを見すえている。
「いいよ。育ててあげる。でも餌はあたしが他の店で買う。それに、許可をもらって、オールドホームで育てようと思う」
「な、なんでだよ! お前は、俺の幸せを奪うってのか!?」
「……あたしは、どこにいるの?」
こぶしを握り締め、声を絞り出す。軽い怒りをこめて。
「おじさんの目にあたしは映ってるの? ここで働いているのは誰? あたしは……クウじゃない。それじゃダメ? クウじゃないと、ここにいちゃダメなの!?」
「サユキ……」
「あたしはここで働いてきた。おじさんと一緒に。でもおじさんは? 誰と一緒に働いていたつもりなの?」
店主は、絶望したようにうつむくと、
「そうだな……」
愛用の煙草を口にくわえ火をつける。ふぅと大きく息を吐くと、紫煙が幻のように空に延び、とけていった。
煙草の先が徐々に短くなっていく。永遠のように感じられる無言の間。沈黙を破ったのは、店主の一言だった。
「お前はクウじゃねぇ」
「おじさん……」
すると、突然彼は不適な笑みを浮かべて、
「だから、思う存分仕事まかせていいってことだよな」
彼の言葉に、大きく頷く。
「まかせてよ」
【街ノ噂】
その次の日から、『カフェかるちえ』は大盛況となった。街の人の話によれば、そこにはとても働き者の灰羽がいるという。
呼び込みやら、メニューの配達やらで大わらわ。店主にこき使われてるらしい。しかし、不思議とその灰羽の表情は活き活きとしており、街の人々は、彼女を見てやる気をもらっていると口々に語る。
「喫茶かるちえをよろしくお願いしまーす!!」
「にゃおーん」
白く小さく明るい少女と、無愛想な猫の不思議な組み合わせで、彼女たちは今日も街を駆け抜ける。
新たな幸せを届けるために……。
作者 樹 さん
作者ホームページ うたかた書店
あとがき
今回は独立したお話となりますが、いかがでしたでしょうか。
視点となる人物の主語を、一切入れないという試みの一話でもあります。
巣立ちが祝福すべきことだとしても、それを受け入れられない人もいるはずですよね。
突然身近な人がいなくなるのですもの。
そういえば『カフェかるちえ』ってどこかで聞いたような……と、それは蛇足ですね。