幸せの果実 第四話 喫茶店・残された者・クウの面影 【店主ノ話】  クウっていう坊主、いや嬢ちゃんがいなくなってどれだけたったっけなぁ。『カフェかるちえ』は、今じゃ随分と寂しくなったもんだ。たしか前は、あの子が手伝ってくれたおかげで、灰羽見たさに訪れる客もいたっけな。 「なあ、あの灰羽さん、ここんとこ見ないねぇ。どこにいったんだい?」  目の前にいる老人も、よくクウに話しかけていた客だった。クウが空を飛びたいって語る時、いつも頭をなでてやりながら、「きっと叶うさ」と励ましていた。  そうか。クウは飛び立ってしまったのか。どこかで、灰羽はいつか巣立つって話をきいたことがある。あの話が本当だってのか?  じゃああのときの、クウの「さようなら」は、こういう意味のさようならだったわけか?  ある日、店に一人の灰羽が訪れた。確か名前はラッカ。クウがよく話していた少女だ。とても仲が良かったらしい。 「なぁ、お嬢ちゃん……たしかクウって灰羽と仲良しだったよな」  尋ねると、少女は暗い表情を見せるかと思いきや、笑顔でうなずいた。 「はい。クウは巣立ちました」 「あんたは悲しくないのかい?」 「巣立ちは祝福された灰羽の証ですから。喜ばしいことなんですよ」  そうか。じゃあ寂しいなんていっちゃばちがあたるな。  ラッカは豆のスープを頼んだ。テイクアウトなので、すぐに彼女は店を立ち去ってしまった。  喫茶店の中には、今は誰もいない。先ほどいた老人も、いつの間にか代金を置いて、いなくなってしまっていた。  なあ、クウ。どこにいるんだ。いつものように、坊主って言って、からかってやりてぇんだよ。  ……今日はもう、閉めちまうかな。  グリの街は西日に照らされ、赤く染まっていた。カラスの鳴き声が、街をこだまする。まるで街が、何かを憂いているかのようだ。  少ない客の残していった食器類を片付ける。  すると、一人店に入ってくる者がいた。 「ここで働かせてください!」  灰羽の少女だった。短くそろえた雪のように白い髪。背中に生えるのは綺麗な灰色の羽。天からの使いのような光輪をたずさえた灰羽は、一瞬クウの生き写しに思えた。  だがそれは思い過ごしだろう。 「こんな閑古鳥の鳴く店でいいならな。いくら働き手がいたって足りねぇくらいだ」  皮肉に、少女は、いつくしむような笑みで答えた。  少女の名前はサユキといった。 【砂雪ノ話】  気さくな店主との日々がはじまった。与えられた仕事は、オーダーをとって、できたメニューを客に運ぶという、単純なもの。それでも、仕事をしているというだけで、今までより、生きているという実感が増すのだから不思議だ。セツカといれる時間が少なくなるのは惜しいけど、これも、ひいては彼女のためと、心のたがを締めた。  働き始めてから、すこしずつ客が増えはじめた。案外と、店主の皮肉は的を射ていたのかもしれない。  普段は明るい店主。しかし仕事終わりに、ときどき呆けた表情をすることがあった。そういうときは、決まってこちらを眺めていた。 「どうしたの?」 「へっ? あ、いやぁ、なんでもねぇ」  聞きとがめると、彼はあわててとりつくろう。しかし、またぼうっと、この身体の向こうにある何かを、見ているような視線を向けるのだ。  働いてから数週間たった。仕事も板についてきたころ、彼は突然語った。 「昔クウっていう灰羽がいてな」  胸の奥が絞られたような感覚がした。  クウ……。  かつてオールドホームにいた灰羽の名。ラッカの親友……。 「ここで働いてたんだ。といっても簡単な手伝い程度だったんだけどな。それで、いつも角砂糖をやって……」  彼は泣いていた。顔は必死に笑みをつくろうとしているが、頬からしたたる雫は、明らかに、悲しみを表しているように思えた。 「お前は、まるであの坊主の生き写しに思えた。お前を見るたびに、空のような明るい笑顔が浮かんでよ。……それが……なんだか苦しくてな」 「あたしはクウじゃないよ」 「そうだな。そうだ。わかっている」 「巣立ちは喜ばしいこ」  言い切る前に、彼が口を挟む。 「ああ……わかってる。わかってるんだ」  彼は頭を抱えた。既に、涙の洪水は収まっていたが、その表情は苦悩に満ちていた。  あたしじゃ役にたてないの?  言えなかった。彼を咎めるような気がして……。 「ニャオン」 「んぅ?」  まぬけな鳴き声がした。声の聞こえた方を見やると、そこには一匹の猫がいた。三毛猫で、どこか気のなさそうな細い視線をこちらに向けている。 「お、お前。生きてやがったのか!?」  愛らしい姿を見て、突然彼が声をあげた。 「この子は……」 「前に、クウが餌付けしてた猫だよ。いつも俺がやった角砂糖で世話をして……。そうか、そうだったか。まだ生きてたか」  店主が優しくその背をなでてやると、猫は気持ちよさそうな声をあげた。 「そうだ、サユキ。今度は、お前がこいつを育ててやってくれねぇか。餌はいくらでもある」 「おじさん」 「こいつはクウとの日々の思い出なんだ。だから大切に育ててやらねぇと……」 「おじさん!」  声を張り上げると、ようやく嬉々として語っていた店主が押し黙った。驚いた表情でこちらを見すえている。 「いいよ。育ててあげる。でも餌はあたしが他の店で買う。それに、許可をもらって、オールドホームで育てようと思う」 「な、なんでだよ! お前は、俺の幸せを奪うってのか!?」 「……あたしは、どこにいるの?」  こぶしを握り締め、声を絞り出す。軽い怒りをこめて。 「おじさんの目にあたしは映ってるの? ここで働いているのは誰? あたしは……クウじゃない。それじゃダメ? クウじゃないと、ここにいちゃダメなの!?」 「サユキ……」 「あたしはここで働いてきた。おじさんと一緒に。でもおじさんは? 誰と一緒に働いていたつもりなの?」  店主は、絶望したようにうつむくと、 「そうだな……」  愛用の煙草を口にくわえ火をつける。ふぅと大きく息を吐くと、紫煙が幻のように空に延び、とけていった。  煙草の先が徐々に短くなっていく。永遠のように感じられる無言の間。沈黙を破ったのは、店主の一言だった。 「お前はクウじゃねぇ」 「おじさん……」  すると、突然彼は不適な笑みを浮かべて、 「だから、思う存分仕事まかせていいってことだよな」  彼の言葉に、大きく頷く。 「まかせてよ」 【街ノ噂】  その次の日から、『カフェかるちえ』は大盛況となった。街の人の話によれば、そこにはとても働き者の灰羽がいるという。  呼び込みやら、メニューの配達やらで大わらわ。店主にこき使われてるらしい。しかし、不思議とその灰羽の表情は活き活きとしており、街の人々は、彼女を見てやる気をもらっていると口々に語る。 「喫茶かるちえをよろしくお願いしまーす!!」 「にゃおーん」  白く小さく明るい少女と、無愛想な猫の不思議な組み合わせで、彼女たちは今日も街を駆け抜ける。  新たな幸せを届けるために……。