灰羽連盟 Blu-ray BOX 発売記念

chapter.4 「昆虫標本と地下室の夜」

 ある時、カナタがお得意先の引越しを手伝ったことがあった。
 本来の依頼は、関係各所への書類の提出を依頼主に代わって行う、
 というものだったが、荷物の整理に人手が足りなくて
 困っているとの話を耳にしたカナタは、自ら協力を申し出たのだ。
 御用聞きはあくまで御用聞きだ。便利屋ではない。
 だが、手が空いている時、ボランティアをすることにやぶさかでもない。
 というのは実は半分は建て前で、残りの半分は下心によるものだったが、
 いずれにせよ、不要になった物を処分するのに人手が必要なのは事実だった。
 捨てるにしろ、売り払うにしろ、その処分に一役買ったのが、
 カナタたちだったというだけの話である。

 ほとんど荷造りが終わった頃だった。母屋に連なる蔵の奥から、
 古ぼけた木箱が出てきた。大人が両手で抱えられるくらいの大きさの木箱だ。
 蓋を開けてみると、中から出てきたのは一そろいの昆虫標本だった。
 四角い木枠の底に薄い布が敷かれ、その上に昆虫がピンで止められていた。
 さらにガラスの蓋がはめ込まれている。中にはグリでは見かけない虫もいた。
「……これは?」
 カナタの問いに、家主は困惑顔で答えた。
「おそらく……、亡くなった父が集めたもの、だろうね」
 家主も、自分の父にそのような趣味があったとは知らなかったようだ。
「どうします? これも運びだしますか?」
「さて、どうしたものかな。わたしには不要な物、だが……」
「では、処分しましょうか?」カナタがいいかけた時、横から口をはさむ者があった。
「失礼します。よろしければ、僕に買い取らせていただけませんか?」 
 アクタだった。彼は売却が決まった荷物を引き取るため、カナタに同行していた。
 他の物の査定は、すでに済ませてある。依頼主は、少し意外そうな顔をした。
「別に構わないが、買い手がつくのかね? こんなものに」
「ええ、問題ありませんよ。喜んで引き取らせていただきます」
 ちょっとでも珍しい物が、捨てられてしまいそうになっているのを目にすると、
 多少の損得は抜きでも引き取らずにはいれない、アクタとはそういう男だった。
「そうか、助かるよ。……いや、まてよ。他の荷物を片付けるのに
 君たちにはずいぶん世話になったし。そうだ、これは君に差し上げることにするよ」
「よろしいんですか?」
「ああ、かまわんよ、今の今まで忘れていたものだからね」
「ありがとうございます」
 驚くほど簡単に話はまとまった。二人は笑顔で握手を交わす。
 横目で見ているカナタからすれば、昆虫標本なんて普通の古道具屋で
 扱うものなのかなと疑問に感じたが、そこはアクタのことだ、
 なにか当てがあるのだろうと、納得することにした。
 だが、カナタは気づいていなかった。その標本を見つめるアクタの目が、
 普段の彼が見せる瞳の輝きとは、微妙に異なる煌きをたたえていたことを。

 夕方までに、予定していた作業はとどこおりなく終了した。
 仕事帰り、カナタは先に帰っていたアクタを追い、彼の店へ立ち寄ることにした。
 小脇には依頼主から「お礼」として頂戴した壜を抱えている。
 壜の中では赤い液体が揺れていた。これから二人で乾杯としゃれ込むのも悪くない。
 だが店の扉はすでに施錠されていた。裏にまわる。裏口には鍵は掛かっていなかった。
「アクター、いるー?」
 その頃には、アクタの古道具屋も「勝手知ったるなんとやら」という状況で、
 カナタは裏の通用口から堂々とあがり込んでいた。
 だが、予想に反し、店の中にアクタの姿はなかった。
 既に表の扉には営業終了の札が下がっていたが、裏口が開いている場合、
 アクタはまだ店に残っているのが普通だ。
「施錠を忘れて帰ったのかな?」カナタがそんなことを考えていると、
 部屋の隅の床下から、微かに灯かりがもれていることに気づいた。
 正方形に切り取ったように、床の上に光が走っている。
 もう少し早い時刻だったら、夕陽の明るさに紛れて分からなかったことだろう。
 どうやらそれは、地下室の入り口らしい。この店にそんなものがあったことを、
 その時カナタははじめて知った。
「アクタ? いるの?」
 光に近づくと、カナタはかがみこんで恐る恐る声をかける。返事はない。
 正方形の隅に、取ってのような窪みを見つけると、
 カナタはわずかな逡巡の後、指を引っ掛け、思い切って引っ張り上げてみた。
 バタンという音とともに、床に四角い穴が空く。光の奥で、なにか動く気配がした。
 覗き込むと、それはカンテラの灯かりを携えたアクタの姿だった。
 物音に気づいてカナタの方を仰ぎ見たらしい。
「……ああ、カナタか」
 馴れ親しんだ声に、カナタは安堵のため息をもらす。
「……ああ、カナタか、じゃないよ。裏口開いてたよ。まったく無用心なんだから」
「こんな時間に店にやってくるのなんて、カナタくらいのもんだよ」
 この気の抜けた声は、確かにいつものアクタのものだ。
 いや、ほんの少し、いつもと声のトーンが違う、カナタにはそう感じられた。
 どこがと問われれば、それを説明するのは難しい。だが、どこか寂しげ声だった。
「……そんなところでなにしてるの、アクタ?」
「ん? なに、ちょっと感傷に浸っていたのさ」
「……カンショウ?」
「まあね。それよりカナタこそどうしたんだい? こんな時間に」
「……あ、そうそう。昼のお客さんにこれを貰ってさ、
 アクタにもお裾分けしようと思って……。って、そうじゃなくて!」
 カナタはアクタに訴えかけるような視線を送る。視線の意味をアクタも察する。
「……ああ、ここかい? まあ、物置みたいなものかな」
 上の店だって物置みたいなものじゃない、と思うも口には出さない。
「ねえ、降りてもいい?」
「……え? ……ここに? ……カナタが? ……どうして?」
「いや、どうしてって……」
 別に深い意味などない。単純な好奇心からでた言葉だ。
 短い沈黙。アクタはあさっての方向を向き、考え込む。
「……まあいいか」
 カナタはその沈黙の意味を理解しかねたが、未知への好奇心が勝り、
 穴の壁面に埋め込まれた梯子を伝って降りはじめた。
 底まで降りてみれば、そこは長方形の小部屋だった。
 いや、小部屋というには少々広い。中部屋とでもいおうか。
 梯子の横には机が置いてあり、残り三方の壁にはコの字型に戸棚が据えつけてあった。
「こいつをしまおうかと思ってね」
 そういってアクタがカンテラを近づけたのは、例の昆虫標本だった。
 カナタは周囲の戸棚に目を移す。そこには、同じような昆虫標本や、
 小動物の剥製、色とりどりの鉱石、グリでは目にしたことのない
 異郷の民具や工芸品が陳列してあった。きれいに整理整頓されいる。
 中には、どう見ても壊れている物や、カナタには使い道の分からない物もあった。
 物珍しさから「これは?」「あれは?」とカナタはアクタに質問を浴びせかけた。
 アクタは、ひとつづつ、懇切丁寧にそれに答えた。
 にわかには信じられないことだが、アクタはここにある物ほとんどすべての来歴を
 正確に記憶しているらしかった。
「すごい、本当にすごい! アクタは、なんでも知っている!」
 彼の話を聴くたび、カナタはアクタへの尊敬の念を強くした。
 純粋な感嘆、時間の経つのも忘れて、カナタはアクタの話に聴き入った。

 どれくらいそうしていただろうか。ふと気がつくと、
 上の方から「ドンドン」という不思議な音が聴こえてくる。
 最初は空耳かと思ったが、音は、段々と大きくなる。
「なんだろう?」二人は顔を見合わせた。
 そろって階上に上がって分かった。音の正体は、入り口の扉を叩くものだった。
 一緒に、なにごとか叫んでいるような声も聴こえる。
「今夜はお客さんが多い日だね」
 アクタは留め金を外すと、観音開きの扉を内側に向かって開け放つ。
「カナタいるの!? ひゃっ!?」
「おっと」
 急に扉を開けたため、支えを失った声の主は店の中へと倒れこんできた。
 アクタの斜め後方にいたカナタが、それを受けとめる形になる。
 手にした灯りを近づけると、そこにはカナタの見知った顔があった。
「……コナタ?」
「……カナタ? よね?」
 抱きとめたのは一人の少女。彼女は、二人と同じように、
 頭上に光輪をたたえ、背中に灰色の翼を持つ者――、灰羽だった。

 彼女の名はコナタ。名を「此方」と綴る、カナタの双子の片割れである灰羽だった。
 紺色の半袖シャツと七分丈を履き、上からベストを羽織っただけの
 ラフな着こなしカナタとは対照的に、コナタは白いワイシャツに
 ひざ下まである紺のスカートという落ちついた格好をしている。
 鼻先に掛けた銀縁メガネがトレードマークだ。コナタはしばし呆けた顔をしていたが、
 自分を抱きとめた相手がカナタであると理解すると、一気にまくし立てた。
「カナタ! あんたなに考えるのよ! 今何時だと思ってるの!」
「何時って……」
 カナタは自分の腕時計に目をやる。
 夜光塗料の塗られた短針は文字盤の上できっかり9を指し示していた。
「あーあー、確かにもういい時間……、かも」
「いい時間じゃないわよ! みんな心配してるのよ!
 寮母のおばさんだってカンカンだし……、
 いつもは晩御飯には真っ先に顔を出すカナタの姿が見えないって、 
 みんなであちこち探し回って……。廃工場で訊いてみたら、
 アクタさんもまだ帰ってないっていうから、もしかしたらと思って、
 ここに来てみたらカナタの自転車が停まってて……。
 でも灯かりはともってなくて、カナタたちになにかあったんじゃないかって、
 わたし……、わたし……」
 コナタは瞳に涙をにじませる。あとはもう、言葉にならなかった。
 カナタの胸にしがみつき、ポカポカ叩き続ける。
 とりつく島もない。この剣幕では、下手ないい訳は逆効果、
 かえってコナタを興奮させるばかりだろう。
「……ごめん」
「なによ、そうやっていつも口ばっかり!」
「ごめんね、コナタ、僕も謝るよ」
「……え?」
 言葉に詰まった二人に、横から助け舟を出したのはアクタだった。
「そんな、アクタが謝ることじゃないよ……」
 悪いのは自分なんだ、カナタがそういおうとするのを、アクタは目で制した。
 ここは僕に任せて欲しい、そういう顔だ。
 アクタはコナタに向かって頭を下げると、誠実さをにじませる声でいった。
「僕がカナタを引き止めてしまったんだ。本当に申し訳ない。
 ついお喋りに夢中になっていたら、こんな時間になってしまったんだ。
 今後はこんなことがないように、僕もカナタも気をつけるよ。反省する。
 だからお願いだ。僕の顔に免じて今度ばかりは許してもらえないだろうか?」
 予期せぬ謝罪の辞に、コナタはしばらくキョトンとしていた。
 いい大人にこれだけされると、さすがのコナタも返す言葉がない。
「……そんな、頭を上げてください、アクタさん。
 どうせ、カナタの不注意がいけなかったんでしょう? 
 分かってますよ、あなたが悪いんじゃないってことくらい」
 ちょっと引っ掛かる言葉だったが、ここは場を丸く治めることに専念しよう、
 カナタは黙って二人のやり取りを見守っていた。
 そして、彼の言葉は見事コナタをなだめるのに成功した。

 年の功か、アクタには人徳があった。それは街の人間にとってだけではなく、
 他の灰羽たちにとってもそうだった。
 アクタは、グリに住む灰羽たちの頼れる兄貴分なのだ。
「やっぱりアクタはすごいなぁ」
 帰り道、カナタはつぶやいた。それを聴いて、皮肉交じりにコナタがいう。
「本当、カナタも見習わないとね」
 まったくコナタのいうとおりだ。アクタには自分の知らない顔がまだまだ沢山ある。
 もっと、色んなことを教えてもらおう。そんな思いを強くした一日だった。

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