灰羽連盟 Blu-ray BOX 発売記念

chapter.1 「御用聞きのカナタ」

 中央広場から西に延びる通りを半時間も歩き、
 耳の大きく垂れさがった黒犬が鼻先を振るわせながら気持ち良さそうに眠る、
 雑貨屋の店先を左に折れた路地の裏に、一軒の古道具屋があった。
 赤茶けたレンガ造りの、四角い屋根の二階建ての建物が、それだ。
 注意しないと、それと気づかずに通り過ぎてしまうかも知れない。
 店には看板がなかった。そこが古道具屋であるということを、
 この街の人間ならば誰でも知っている。だから、看板は不要、というわけだ。
 だが、この店を訪れるのは、なにも人間ばかりではなかった。

 そびえ立つ高い壁にぐるりと周囲を囲まれた、グリと呼ばれる小さな街。
 ここでは人間と共に、灰羽と呼ばれる者たちもまた、日々を過ごしていた。
 遥かな昔、人々が記憶をさかのぼることのできる限りのずっとずっと以前から、この街では
 繭から生まれ、背中に灰色の翼を持ち、頭上に光輪を冠した灰羽が、人間たちと同居していた。
 ある灰羽は、その状況を「人の住む街に灰羽が居候させてもらっている」と、表した。
 いい得て妙である。灰羽が居候であるならば、居候には居候の心構えが必要だろう。
 その為かどうか、この街には灰羽に関するいくつかのしきたりがあった。

 「灰羽は人間の使ったものを引き継ぐ」

 しきたりの中のには、そんなものもあった。
 居候たる灰羽が、日々の暮らしの上で必要とする道具類は、
 街の本来の主人たる人間たちのお下がりを拝借する、というわけだ。
 だが、この街の人々は、概して物を大切に扱う傾向があった。
 本当に不必要と感じない限り、容易に物を手放したりはしなかった。
 もっとも、使われなくなったうち、
 いつしかその物の存在を忘れ打ち捨てられてしまうことも、ままあるのだが……。
 それはともかく、この街は「壁」という物理的な障壁に囲まれ、
 あらゆることに有限性を感じさせる環境にある所為か、
 おのずと人々は質素な生活スタイルを守り通していた。
 街で産出できない物品は、トーガと呼ばれる異民族との交易に頼るほかない。
 その交易も、限られた耕作地から生み出される農業生産物と、
 家内制手工業に毛が生えたような設備による工業製品
 ――なんなら、工芸品といい換えてもいい――が元手では、たかが知れていた。
 大量生産・大量消費などという文化とは端から無縁の社会である。
 それに意義を唱える者も、元よりほとんど存在しなかった。
 人々は、限られた世界の中で日々を勤勉に働いて過ごし、質素に暮らしを立てている。

 そして、人がそうであるように、灰羽もまた日々の糧を得るためには働かなければならない。
 グリの街では、灰羽が働ける場所は連盟(正式には灰羽連盟と呼ばれる、
 灰羽の生活を保証し、同時に指導・監督する団体)によって厳格に管理されている。
 通常、承認を受けていない職場で勝手に働くことは許されていないのだが、
 稀にその枠を越えて、新たな職業を見出す者もいた。

 その一人に「御用聞きの灰羽」と呼ばれる者がいた。
 仕事の都合で自由に時間の作れぬ者や、遠出の困難な独居老人のために、
 買い物や各種の手続きを代行する仕事を生業とする灰羽である。
 名を、カナタという。その名は「彼方」と綴った。
 年の頃は、人間でいうところの14、5というところだろうか。
 ガイコツのような灰色のフレームにエンジンを付けた、
 オンボロな原付自転車の荷台に雑多な荷物を括りつけ、
 バタバタと景気のいい音を振りまきながら、小気味よく街中を走り回っていた。
 このバタバタという音が聴こえると、人は「御用聞きの灰羽が来たよ」と家の窓を開ける。
 声をかければ、すぐに自転車は停まり、御用を請けたまわるのだ。
 あらかじめ届出を出しておけば、御用聞きは留守宅にも参上した。
 連盟の承認を受けた木札の掛かっている家を巡回して、
 そこに置いてある注文メモの書置きを回収する仕組みになっている。

 この仕事は、なにもカナタの独創ではない。先代の御用聞きがちゃんといた。
 もっとも、先代は人間であった。
 永らく御用聞きとして街の住人に親しまれていたが、
 もう高齢でもあり仕事を引退しようとしている、との話を聴きつけたカナタが、
 押しかけ同然に先代に「弟子入り」したのだった。
 突然の申し出であったが、先代はこれを快く受け入れた。
 先代も、御用聞きの火を絶やしたくはなかった。
 やがて、事後報告ながら連盟の承認も得ることができた。
 その際カナタがこっぴどく叱られたのはいうまでもない。
 こうして、世にも稀なる「御用聞きの灰羽」が誕生したのである。

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