幸せの果実 第五話 話師の目・生まれた場所・黒羽 【話師の目】  夏も盛り。灰羽連盟寺院の木々も一層緑を濃くして、天より差し込む光を必死に受け取ろうとしている。楽しげに風に揺れ、サワサワと心地良さそうに歌っていた。  あずまやにある椅子に話師は座っていた。ふと一本の木を見上げると「来たか」と呟く。羽音とともに、枝葉が音を立てて揺れ、葉を数枚散らした。  陽光を浴び一枚一枚が光を帯びているような葉の隙間から、闇をたたえた双の瞳がのぞいている。かすかに見える体躯も、光を受けることを拒むかのような黒色だった。  風と枝葉の奏でる涼しげな音のみが響く寺院は、寝息を立てるように静かだった。だが、鳥が鳴きその静寂は切り裂かれる。鋭く乾いた声が反響しこだました。眠っている寺院を起こそうとでもいうくらいにうるさく、 「これ、そんなに大きな声でなくとも聞こえておるわ」  と話師がいさめるように言った。  今度は一段とおさえて鳥が鳴いた。 「そうか、ひとまずは仕事を得たのだな」  鳴き声がこたえる。 「うむ、今度の冬は厳しいかも知れぬ」 「そうか、壁の力が……。黒き羽を持つ灰羽。彼女は冬を越えられぬ恐れがある」 「案ずるでない。彼女にはよき先例がある。そして、支えとなる柱も。乗り越えるのは安易ではないが、鍵を一切隠してしまうほどに罪の輪は固くはない」  話師の言葉に鳥は沈黙でこたえた。 「終わりか。では行け」  鳥は再度、寺院を満たすほどの声音で鳴いた。木々を揺らし羽ばたいて。重力をものとせず、光の渦に吸い込まれるように舞い上がり。やがて、黒い点となって見えなくなった。  眠るように寺院は静まる。  話師はその寝息を瞑想しながら聞いていた。 【生まれた場所】  蝉(せみ)の鳴き声が聞こえる。晩夏。油蝉の大合唱は影をひそめ、その多くはつくつく法師の奏でるもの。夕には蜩(ひぐらし)の鳴き声にとって替わるだろう。  ゲストルームの窓を開き、あたしは寝台に腰かけながらぼんやりと外を眺めていた。  セツカは体調の優れない日以外は懸命に子どもたちの世話をしている。はじめはセツカの分も働かねばと思っていたが、そんな決意がまるで意味をなさないくらいに、彼女は良く働いた。寮母のおばさんが、仕事がとられて大変だと嘆くほどだ。  見ていると、あたしも頑張らなきゃと思うのだけど、 「休みだしなぁ」  勤めている喫茶店が改装中とあっては仕様が無い。セツカの仕事を手伝おうとしたこともあったが、寮母に「世話する子どもが増えちゃたまらん」と言われてしまったら、こうして待つしかない。何をしてしまったというと……思い出すのもはばかる。  風を感じることに意識を集中させる。太陽は真南よりすこし傾き、ちょうど一番暑い頃だ。たしかに暑いといえば暑いのだが、うだるほどではない。汗が風に乾かされ、日陰となったゲストルームは外に比べればむしろ涼しいくらい。  虫たちの大合唱も、どこが元気がなかった。  オールドホームのみんなは、今までにない冷夏だと口々に語っていた。  そのみんなだが、先からドタバタと大きな音をたてている。しばらく部屋から出ないでと、患者でも扱うように隔離され、こうして作業が終わるのを待っているわけだ。  漏れ聞いた話では、「掃除は済んだ?」とか「ベッドは使いまわせばいいよね」とか、なんだか意味深。  窓を開けていると、音があふれるように流れこんでくる。会話の内容までは聞き取れないけど、カナがなにか文句を言い、ヒカリがそれをお母さんのようにいさめ、ラッカがなだめたりと。  いつもの調子に、思わず笑みがこぼれた。  鳥が巣の中で眠るときって、こんな気持なんだろうなぁ……  あれ……ここは?  一面真っ青。  海?  でも、こんなに明るいはずはないのに。  覚えてる。海でおぼれそうになったとき、沈んでいくとだんだん暗くなった。  でもここは、上へ上へと沈むたびに明るくなる。  あ、そうか。あたし、鳥になって飛んでいるんだ。  風が、気持いい。  自由に、泳ぐように空を舞う。  でも、どこか寂しく感じるのはなんでだろう。  空からグリの街が見下ろせた。  たまごみたいな形をしている。  そして、町の中心の時計塔から、南西に目を向けると、そこはオールドホーム……  帰らなきゃ。  一人で行ってはだめ。  だって、あたしは、……と……  誰かの名前が浮かんで消えた。  風が急に冷たくなった。身体をまとい衣のように暖めていた空気は、いまは氷のよう。  戻らなきゃ。  あたしは翼をたたむ。  落ちていく。  落ちていく。  最後に壁の向こうがちらと見えた。  そこは……  あれ、あんなに明るかったのが。いきなり真っ暗になった。  ――サユキ。  やっぱり海の底に沈んでいたのだろうか。 「サユキ」 「わっ!」  耳元で呼ばれ、あたしは飛び起きた。 「やっとお目覚め?」  すこしあきれたような笑みを浮かべて、あたしに言ったのはヒカリ。 「まったく、そんなところで昼寝しちゃだめでしょう」 「あ……」  あたしが寝ていたのは床の上だった。それもうつぶせに。あわてて立ち上がって、服についたほこりを払っていると、「ふふ」と笑う声がした。 「おはよう」 「えへへ、おはよう」  雪より生まれた白い花のような少女に、あたしは照れ笑いを浮かべた。 「仕事はどうしたの?」 「ええと……」  セツカはすがるような目でヒカリを見た。いったいなにを隠しているのやら。さっきの物音と関係があるのだろうか。  外を見ると、ようやく日陰が長くなりはじめた頃。まだ夕飯には早い。 「二人に見てもらいたいものがあるの」  年少組の子が悪いことをたくらんでるように、ヒカリはほくそ笑んだ。ゲストルームから出て、 「ついてきて」  あたしとセツカは、訝りながらもヒカリのあとを追った。  そこは、ゲストルームのちょうど真上に二階上がったところにあった。西棟の最上階にあたる。  ヒカリが扉を開けた。その部屋は、セツカが前に一度見て、使えないと印をつけた場所。 「いらっしゃい」とラッカが、後ろ手に楽しそうに微笑んでむかえてくれた。 「おそーい。待ちくたびれちゃったよ」とカナは不満げな声をあげながらも、鼻頭を押さえてどこか誇らしげだ。  あたしたちは声を失ってしまうほどに驚いた。前に、念のためセツカと一緒に、部屋探しをしたことがあった。たしか扉は外れて、床もボロボロ、ほこりまみれで、とても住めるような場所じゃなかったはずだ。  それが、まるで今建築されたかのように、壁から天井、床まで、部屋全体が綺麗に磨かれていた。脇には二段ベッド、机に箪笥(たんす)に、奥には赤いソファも。 「これってもしかして私たちの……」 「そうよ。みんなで頑張って掃除したんだから。あ、ベッドはレキのところので、あとの家具は他のところからの寄せ集めだけど」  ヒカリが嬉しそうに言った。けど、多分セツカが言ったのはそういう意味でじゃないと思う。あたしも、さっきからどこか不思議な気分を抱いていた。 「なんだか懐かしい」 「うん」  あたしが言うと、セツカが頷いた。 「そりゃぁそうだろうな」 「ここは二人が生まれた場所だから」  ラッカの言葉にあたしは納得した。  そう、かすかにだけど覚えている。それは、繭の中にいたころの記憶。 「大変だったよな。繭が二つもできてさ。一つの部屋にだから、それで壁も床も天井もぼろぼろになって」  カナが言って、ヒカリが「そうそう」と思い出したように笑った。 「ここでいい?」  まるで答えを知っているかのように、ラッカが訊く。もちろん、あたしたちの返事は是だ。  こうして、あたしとセツカの部屋が決まった。    ゲストルームに寝泊りしていたころも、セツカとともにいる時間が一番好きだった。こうして部屋が決まり距離が縮まると、その思いは一層強くなった。  繭の中に似てるんだ。あのときも、手を伸ばせば触れられる距離であたしたちは眠っていた。  ずっと昔からそうしてきた気がする。うまく思い出せないけど、そんな気がしてならない。  はじめは、二段ベッドの上段をセツカが、下段をあたしが使っていた。だけどすぐに、二段であることが意味をなさなくなった。一人で寝ると心細いという理由で、セツカに下で一緒に寝てもらうよう頼んだのだ。  狭いから、すこしでも動くと触れてしまう。たまに寝相が悪いと、あたしがセツカを蹴っちゃったりして、それでもセツカは笑って許してくれて……  より距離が近くなって、より一層、一日一日が愛おしくなっていった。  やがて夏が秋となり、木の葉が燃えるような色に染まり、風が冷たくなっていく。そんな季節となった。  ラッカがいうには、グリの街の冬は、それは唐突に訪れるのだという。うんと深呼吸して、鼻がツンとしたら冬のはじまり。クウという灰羽の受け売りだとか。  ためしに外で深呼吸してみたら、なるほどたしかに冬の気配が鼻の奥までおじゃましますして、思わずくしゃみしてしまった。  風邪をひいてしまわないように、あたしたちは古着屋で外套――あたしは白で、セツカは黒。どちらも無地――を買った。帰ったらみんなが羽袋の贈り物をしてくれた。それはおそろいの白い羽をかたどったものだった。  白と黒の対照はそれは見事で、お姫様みたいとあたしが言うと、セツカは「サユキだって、まるで雪の妖精みたい」と感想を言ってくれた。  あまりの恥ずかしさに顔を赤らめて「バカッ」って言ったら、みんながおかしそうに笑った。  でもなんでだろう。あのとき、セツカはどこか心あらずといった複雑な表情で、はずした羽袋をじっと見つめていた。嬉しいことなのに心から喜んでない。そんな感じ。こういうときに心が読めたらなぁ。  セツカはあたしに何か隠し事をしている。といっても些細なことで、また隠してしかるべきものだとも思うのだけれど。  喫茶店が新装開店して、しばらく眼が回るような忙しさだった。渋いおじさま向けの様相から一転、ピンクの外装に店内は空色の壁紙、色鮮やかな、まるでおとぎの国にでも迷い込んだかのような錯覚さえも起こさせる変容っぷり。血迷ったかのかとも思ったけど、店主が言うには、あたしを想像して考えたそうだ。  店内の掃除や配膳、外への配達。アルバイトを雇っても大わらわなのには変わりなかった。  そんな喫茶店の大反響も落ち着いてきたころ、羽袋をもらった数日後のこと。  いつもより客入りが少なく、思いのほか早く帰宅することを許され、あたしは喜びを隠さずオールドホームに走った。真っ先に部屋に戻ると、セツカが机で何か書いていたところだった。あたしがきたと気づくと、あわててそれを隠した。紙の束みたいだったけど、遠目からではそれがなんだかよくわからなかった。 「何書いてたの?」  訊いても答えてくれる気はないみたいで、「なんでもないの」の一点張り。しかたなくその場は退いた。問い詰める理由もない。  その日から、何かを書いているのを見つけては、セツカがそれを隠すということが、幾度となくあった。  日記でも書いているのかな。それなら見られたら恥ずかしいのもわかる。  しばらくすると、それも気にならなくなった。  セツカと同じ部屋で過ごす日々。それは愛おしく、幸せで、あっという間に過ぎていった。  こんなに幸せでいいのかな。セツカが罪憑であることを忘れてしまうくらい。  彼女は母親のように優しく、温かく、あたしに接してくれた。  ずっと前からこうしていた気がする。  セツカの胸の中で眠ると、懐かしい思いがこみ上げてくる。  もしかしたら、灰羽になる前も、こうして二人一緒に過ごしていたのかもしれない。  どうして灰羽になったのだろうと考えることもあったけど、今セツカとともにいる時を思えば、それは些末な問題でしかなかった。  こうして季節は流れ、いつの間にか冬を知らせる便りが届いた。  空は昼なのに暗く、どしゃぶりの雨が、暴風が、窓を叩き揺らした。  秋の嵐がやってきたのだ。 【黒羽】  木々が揺れている。色づいた葉が、雨に風にもまれて散ってゆく。  空は、雲の厚い膜が太陽の光をさえぎって、まだ夜が明けていないのかと勘違いしてしまいそうなほどに暗かった。  窓がガタガタと音をたて、オールドホームまで吹き飛んでしまいそうと、サユキは案じていた。  今は外よりも、電灯を点けた室内のほうが明るい。  私はサユキに羽を染めてもらっていた。嵐とともに気温はぐっと下がり、なんの因果か、私の羽も黒い闇がより深く侵食していった。朝起きて体調がすぐれないと思ったら、羽が真っ黒に染まっていたのだ。  冬は壁の力が弱まるという。ラッカが語っていた。彼女もそのころに罪憑きになった。しかし今はまだ秋の終わり。  ラッカはあるだけの染料を渡して外へ飛び出していった。  それほどに深刻なのだろう。 「遅いね」 「ええ」  サユキの声に、生返事する。  彼女が羽をすき、染料が染み渡る。姿身に映る私の羽。薄紅の液体が包み込み、その奥で黒いまだらが浮かんでいた。  これはしょせん目くらましでしかない。それも、今となっては隠し切ることさえ出来ない。羽袋をつけるしかないだろう。早めにつけるのを訝られれば、寒がりなのだといえば良い。  それよりも気がかりなのは…… 「ねえ、サユキ」  外が暗いと心も連動して暗くなるものか。それとも私の心を反映したのか。「なに?」と訊くサユキの声音は低く、どこか沈んだ調子だった。 「この染料、どんな植物から作られるか知ってる?」  サユキは首を横に振った。彼女が採りにいっているわけではないのだから、無理もない。 「これは雪鱗木っていう木、通称『老人の樹』と呼ばれる木の樹皮からつくられる染料なんだって。主にはえているのは……西の森、それも壁の近く」  反応はなかった。沈黙の意は、おそらく動揺。それはそうだ。西の森は壁の影響が強くなる場所。近寄ってはいけない地なのだから。  だからラッカは隠したのだろう。染料の材料を手に、いつも何食わぬ顔で戻ってくる。しかしその奥には疲労の色が見え隠れしていた。考えてみれば当然のことだ。 「前に図書館で調べたの。自分の羽に関わることだから、気になってね」  サユキは声を失ったかのように、押し黙ったままだった。  遠くで雷が光った。  奪われた陽光は、実は雲の中にたくわえられていて、それが一気に放出されたように眩しかった。 「ラッカはなんで隠していたのでしょうね」  空は心の姿見のようだ。ゴロゴロと鳴るうなり声は、私の中で広がる疑心。稲光と、地面という巨大な鼓を打ち鳴らすような雷鳴は、私の言葉。 「なんでこんなにも私のためにつくしてくれるかのかしら。こんなにたくさんの染料をつかっても、もはや目くらましにもならないのに」  サユキの眼がうるんでいるのがわかった。  だから、私は口を閉ざした。  嵐は収まる気配を見せない。  窓が音をたてるのは、オールドホームが泣いているのかもしれない。  なんで?  答えはすぐにでた。  ノックもなしに乱暴に扉が開き、そこにいたのは蒼ざめた顔をしたカナ。 「ラッカが倒れた」  彼女は息を切らしながらそう言った。 あとがき 閑話休題。今までは短編集の体で描いてきましたが、前の話を一区切りとして、最後までを数話にわけ書くかたちになると思います。 遅筆なため、時間がかかるかもしれませんが、最後までお付き合いいただければ幸いです。 群像劇とてもいうのでしょうか。この話から視点がころころと変わります。 灰羽連盟の世界を、魅力をあますことなく、は難しいかもしれませんが、すこしでも伝えられることを祈って、あとがきとさせていただきます。