幸せの果実 第三話 一人前・街の歌・最後の仕事 【鐘の音】  グリの街は、ある決まった時刻に歌う。中央広場より響くその音は、人々の心を震わせる。彼らは一様に、広場の塔を振り返り、しばしその美声に浸る。        *  時計台。グリの街の中心部に、まるで灯台のようにそびえる塔が、あたしの働き場だ。塔の中は作業場となっており、下にある時計店で商いをしている。  親方は、頑固オヤジで、いつだってケチばかりをつける。  でも、それがうれしいんだよな。  影で心配されてるってことは、とっくの昔に気づいていた。だから、親方の小言には、うっとおしく感じるふりをしながらも、内心ではほくそ笑んでいた。  あれは、クウが巣立つ前だったかな? あたしはオールドホームにある時計塔を復活させた。といっても、そのときは手動でしか鳴らせなかったし、なによりも問題なのが、鐘の音が止まらなかったってことだ。  もちろん、春が来るまで何もしなかったわけじゃない。ちょくちょく改良を加えて、あとは……ここを、こうすれば……。 「おーい! できたぞー!!」  あたしは、時計塔の窓から、大声で西棟に向かって叫んだ。 「あと十分で鳴る! 準備は良いかー!!」 「いつでも大丈夫よー!」  大きく手を振ると、ゲストルームの露台の上から、ヒカリが答えた。  段飛ばしで階段を駆け下り、踊るように西棟へと向かう。  ゲストルームの食卓には、色とりどりの豪華な食事が並んでいた。隙間なく卓を囲んだ椅子には、オールドホームの灰羽たちが一同に会している。子供たち、それに寮母のおばあさんまでも集まってくれた。  そして、スミカさんも。 「招いてくれてありがとう」  彼女は、両手に抱いた子供をあやしながら、微笑んだ。一年近くたって、かなりの大きさに育った子は、スミカさんの腕の中、すやすやと眠っている。 「いやいや。今回の主役はスミカさんといっても過言じゃないですから」  あたしは空いている席に収まる。あとどれくらい? というヒカリの問いに、懐中時計を取り出す。  確認すると、皆をいちべつし、叫ぶように宣言する。 「みんな、準備はいいか? 秒読みするぞ」  深く息を吸い込み、 「十!!」  あたしにつづけて、皆も嬉々とした表情で数を減らしていく。 『九!! 八!! 七!! ……』  届け。きっとこの音は道標となる。  最後の、あたしたちの贈り物だ。 『三!! 二!! 一!!』 『ネム、巣立ちおめでとーーー!!!!』  乾杯。色鮮やかなガラスの杯が、いくつも頭上にかかげられる。  ガラァン ゴロォン  オールドホームが歌う。灰羽たちのにぎやかな宴に、鐘の音が調和する。  まるで空全体が、祝福の曲を奏でているかのようだ。天の向こうまで響き渡りそうな鐘の音は、ここに集まった皆の数だけ鳴り、そして眠るように止んだ。  これが、今のあたしにできる精一杯。親方には遠く及ばないかもしれない。でも、その役割はきっと果たしてくれるはず。 【親方と弟子】 「もう、教えることは何もねえ」 「はぁ!?」  オールドホームの鐘を治した次の日。時計塔に着くなり、いきなり親方が言った言葉に、あたしは我が耳を疑った。  今まで頑固一徹のあの親方がだぜ!  何かのいい間違いにしか思えないって。 「これからは、お前があいつらを指導してやれ」 「親方はどうするんだよ。まさか辞めるなんて言うんじゃないだろうな」 「…………」 「おい! なんだよ。言い返してくれよ! なあ、うそだろ? おめえはまだまだだな、っていつものように言ってくれよ!」 「話は終わりだ。仕事につけ」  何かの夢だと思った。  親方が仕事を辞める? なぜ?  あたしはオールドホームの時計塔を治した。そのことを認めてくれたのはたしかに嬉しいさ。けど……。  その日は、まったく仕事が手につかなかった。それでも、親方の小言は一切なかった。  どこか、歯車が狂ってしまったかのようだった。  カチ コチ  何かの時が刻まれていく。それは、何の時なのだろうか。        *  あのバカ。いつまでもけんそんしやがって。  オールドホームから聞こえた鐘の音。ありゃあ見事なもんだった。たとえ巣立った灰羽を送る音だったとしても、俺の心、いや街のみんなの心を震わせたのはまちがいねぇ。  あんなものを聞かされちゃぁ、認めねぇわけにはいかねぇだろうが。  そして、弟子に負けてるようじゃ親方失格ってもんだ。  作業する手が震える。まるで自分の手じゃないかのようだった。  くそっ! 動け。あとすこしなんだ。  ほんのすこしの間だけでいい。俺に、時間をくれ。  まだ……まだだ。  よし! これで……。  ふふ、あいつの驚く顔が目に浮かぶ。あまりのすばらしさに泣いてしまうかもな。  力尽きるように倒れる。  職場の連中の話では、たいそううるさいいびきだったようだ。 【グリの街は歌う】  親方が仕事を辞めるわけがわかった。  あたしが認められてから数日後、親方は医院の一室、寝台の上に横になっていた。彼は、なぜか満足げな笑みを浮かべ言った。 「はは、なにしけたつらしてやがんだ。心配すんな。まだ死んだりはしねぇよ。いや、ある意味じゃ、死んじまったのかもな」 「なんで笑ってられんだよ!」  あたしの目から、自然と涙がこぼれていた。親方をおおう布団の上に、まだらの染みができる。  親方は、手が動かなくなっていた。  それは、職人としての死……。  しかし、親方はそんなこと気にするでもなく、あけっぴろげな笑みを浮かべている。いままでで一番幸せそうな顔をしていた。 「これが笑わねぇでいられるか。俺は最後に自分の夢を叶えることができたんだ。この街を歌で包み込むっていうな」 「なに言ってんだよ。今までだって……」  突然、医院の外から音が聞こえた。心地よい、空を流れるように響く鐘の音が。  でも、いつもと様子が違う。 「これは……」 「これが俺の最後の仕事だ。おめえは俺が認めた時計屋だ。これを超えるもんを造ってみろ。  俺がお前に与える、最後の仕事だ」 「はは、無茶言うなよ」 「いつものことだろうが」  街は歌っていた。歌うような音ではない。鮮やかな旋律にのせて、色とりどりの音をつむぎだし、空を、街を、人々を包み込むように、グリの街の演奏はつづく。 「なあ、ここからでもオールドホームの鐘は聞こえるよな」 「ああ、そうだが」 「まだまだ巣立つことはできないってこと」 「ふっははは。そうだな。俺もくたばることはできないってことだ」  街の歌が静まるまで、あたしたちは笑い転げた。  今のあたしじゃ、親方には到底かなわない。  だけど、時間はたっぷりとある。  じっくりと完成させてやろうじゃないの。  あたしの大仕事は、まだはじまったばかりだ。