幸せの果実 第二話 罪の輪・セツカの仕事・礫 【罪の輪】  光輪の型を返し、セツカとサユキを話師のもとへ紹介するため、わたしたちは灰羽連盟寺院までの道を歩いていた。新生子と共に、この切り立ったがけの道を行くのは二度目。  前の反省を活かして、二人には寺院では声を出してはいけないこと、羽の動かし方を指導してあげた。  セツカの熱も収まり、人の手を借りることなく無事に連盟院までたどりつく。サユキは、わたしにはまだ慣れていないのか、絶えずセツカのもとをまとわりついていた。カナも連れて行ったほうが良かったかしら。  両手と羽に鈴をくくりつけられ寺院に入ったとき、わたしはいやな予感がしていた。セツカの羽は、今は灰色に染められているが、話師にはおそらく罪憑きとわかるだろう。  光輪の型を返すと、話師は、ラッカのときと同じように、灰羽手帳を二人に渡した。儀式的な説明が済むと、話師はセツカの方を向き、その羽をじっと見つめた。 「罪憑きか」  セツカは、射抜かれたように身をすくめ動かない。わたしは彼女の代わりに右の羽を動かし、肯定の意を伝えた。 「薬で羽を染めているな。話すことを認めよう」  話師は、厳かな口調でつづける。 「罪を知る者に罪は無い。これは罪の輪という謎かけだ。考えてみなさい……罪を知る者に罪は無い。では汝に問う。汝は罪人なりや」 「私は罪人です」  セツカはきっぱりとした口調で答えた。その答えに迷いはなかった。わたしは動じ、サユキもおびえるように身体を震わせた。 「私は誰かを裏切りました。嘘をついて、そのすがる誰かを突き放しました。私は罪人です。ですがそれで罪が消えることはないですよね。私は罪を知る罪憑き……」  サユキが懸命に首を振っている。しかしセツカは淡々とした口調で、言ってのけた。その言葉に迷いは無い。凍りついたようなその表情にわたしは恐れを抱いた。 「それがお前の答えか」  彼女は口を開く代わりに右の羽を動かした。 「お前は罪憑きとして、祝福を受けられないまま灰羽としての時を全うするというのか」  また右に羽がかすかに動いたかと思うと、隣で鈴の音が鳴った。サユキだった。左の羽を、何度も何度も揺らしている。 「言いたいことがあるのか。よろしい。話すことを認めよう」 「セツカに罪なんてない!! セツカはあたしにとって大切な人なんだから。いつもあたしを受け入れてくれる。だから悪くなんてないんだ。あたしがセツカを救う。なんでもするから。セツカのためなら……」 「サユキ……」  ぼろぼろと滝のような涙を流すサユキ。寺院を出て、オールドホームへと戻るまで、その涙は止まることはなかった。 【セツカの仕事】  オールドホームでの日々は、まるで母親の胎内で眠るように心地よいものだった。そんな遠い昔の記憶は忘れたはずなのに、なぜかその表現が一番しっくりときた。  灰羽連盟寺院での、話師との会話を反芻する。  私は罪人。彼は罪を知る者に罪はないといった。だからといって、私の罪がなくなるなんて、そんな虫がいい話はない。  サユキが私を守るといってくれたとき、嬉しさは感じなかった。こんなにも愚かな自分を救おうなんて、そんな価値、私にはないのに……どこか諦めにも似た感情は、心の奥底でくすぶっていた。  私は身体が弱い。三日に一回は体調を崩して、こうして寝込んでしまう。そんなとき、世話をしてくれたのはサユキと、ラッカだった。  サユキは、いつでも私の傍にいてくれた。ラッカは、黒く染まった羽に薬を塗ってくれた。  調子がいいときは、サユキと一緒にグリの街での仕事を見に行ったりもした。でも、私にできる仕事はなさそうだった。 「そうだ! あれがあった。セツカにぴったりの仕事。なんで今まで気づかなかったんだろう」  ある日、ラッカが私の仕事を見つけてくれた。  オールドホームの子供たちの世話だ。 「昔巣立ったわたしの大切な友達の仕事だったんだ。これならセツカにもできるはず」 「大切な友達」と言うとき、ラッカはどこかいとおしげな者を見るような目をしていた。よほど、彼女にとって親しい灰羽だったんだろう。  私は「大丈夫かしら」とすこし心配したが、 「大丈夫だよ。寮母のおばさんもいるから」  ラッカの天使のような明るい微笑みに押された。  彼女を見てると、本当に灰羽って天の使いに思えてくる。としたら、私はさながら堕天使といったところか。  今までは、オールドホームの灰羽たちの持ち回りで、子供たちの世話をしていた。こうして自分の仕事となると、その役目の多くは私にまわされた。辛くはなかった。こうして働くことで、ほんのすこしだけど、自分の居場所ができたような気がした。  自然と体調を崩す日も少なくなり、サユキも安心したのか、外に出ることが多くなった。 「あたしも仕事見つけなきゃね。セツカに負けてちゃだめだよね」  彼女のはにかむような笑みは、いつも私の支えになってくれた。日中離れるのがすこし惜しいが、帰ってこない日はないのだから、と自分に言い聞かせた。  このまま自分の罪を忘れてしまえるかと思った。  しかし、心の奥底にくさびを打ち込んだかのように、それは消えることはなかった。 「なんでそんなに悲しそうな顔をするの?」  子供たちを相手にするとき、一人の女の子に訊ねられてはっとした。  私は、まだなにかを悔やんでいる。  罪を持ってることはわかっている。でも、それがなんなのかはわからない。  ただ、漠然とひどいことをしたとしか……。 【礫】  オールドホームの東西南北には四つの棟があり、南の年少組みの棟以外は住居として使用されている。  私とサユキは、今は西棟の二階、北側に位置するゲストルームと呼ばれる部屋で寝泊りしている。  だが、そろそろ自分の部屋を見つけるべきだろう。  ラッカにもらったオールドホームの全体図を頼りに、仕事の合間をぬって、掃除がてらに西棟の部屋をまわってみた。全体図を見ると、西棟には見知らぬ名前が記された部屋があった。  『クウ』、そして『レキ』。  昔ここに住んでいた灰羽たちだろうか。なら、なんで今はいないんだろう。  ゲストルームのすぐ下の階に、『クウ』と地図に記された部屋があった。他の部屋は、とても人が住めたものじゃないくらいに汚かったのに、この部屋だけは、まるで今も誰かが住んでいるかのように整理され、掃除もされていた。  なんだか、この部屋に住んではいはいけないような気がした。  部屋の奥、張り出し窓のように奥行きのある窓の傍らに、いくつかの置物があった。カエルをかたどった置物だ。 「ラッカ、カナ、ヒカリ、ネム……クウ……レキ……」  それぞれのカエルに、オールドホームの灰羽の名前が刻まれている。  私は、かつてここにいたであろうもう一人の灰羽のことが気になった。  レキ……。  西棟の三階、南の端の部屋が『レキ』の部屋だった。ラッカの部屋の真下にあたる。  その部屋も『クウ』の部屋と同じく、誰かが掃除しているのか、歩いてもほこり一つたたなかった。 「あれ? セツカ?」  突然後ろから呼ばれてびくっと身体を震わす。振り返ると、開けていた扉の向こうにラッカが立っていた。 「そっか。部屋探ししてるんだったね」  ラッカは、寺院での仕事が早く終わったのだと、ここにいる理由を説明した。  ここにきた、ということは……。 「この部屋の掃除をしているのって、あの……ラッカさんですか?」 「もう、ラッカでいいってば」  彼女ははにかむと、「そうだよ」と肯定した。  そして、灰羽の巣立ちのことを教えてくれた。 「いつか言わないと、って思ってたんだけど……いろいろあったから。あとでサユキにも教えてあげてね」  ラッカによると、灰羽は時がくると壁を越えるのだという。いつしかいなくなってしまったネムも、あの日、巣立ちの時を迎えたのだ。  ネムがいなくなったときは、まだ私の容体がかんばしくなかったので伏せていたのだと彼女は語った。  あのあと、西の森の奥にある礼拝堂で、ネムが無事に壁を越えたことを皆で願っていたのだとラッカは言った。私とサユキは、ただ見よう見真似で瞳を閉じ、頭を下げただけだった。  他の灰羽たちは、すこし暗い表情を浮かべていた。ネムがいなくなって寂しいのかと思った。 「本来巣立ちは喜ばしいことなの。だから、今度お祝いしないとね。セツカも、だいぶここでの暮らしには慣れてきたでしょう」  私は、うなずいたともうつむいたともとれるように、曖昧に頭を下げた。  複雑な心境を察したのか、ラッカは優しく微笑むと、巣立った灰羽について語り始めた。 「レキはね、昔罪憑きだったの……そして、私も罪憑きだったことがあった」  はじめての告白に、私は心の蔵を揺さぶられたような気持ちになった。  まさか私以外にも罪憑きがいたなんて……それも、今目の前にいるラッカが……。  彼女の穏やかな笑みを見ていると、そんなこと、信じられなかった。 「クウも、私の大切な友達……クウが巣立った時、わたしはそのことを受け入れられなかった。わたしのせいで、クウがいなくなってしまったんだと思った」  しかし、今はこうして綺麗な灰羽を持っている。 「鳥が助けてくれたんだ」 「鳥……?」 「うん。遠い壁の向こうから、黒い羽を手に入れて……ここで、ずっと見守ってくれた。わたしはそのことに気づけなかった」 「でも、気づいたんでしょう」 「そう。だから、わたしは罪の輪から抜け出せた」  罪を知る者に罪はない。では汝は罪人なりや。  話師の厳かな声がよみがえる。  罪の輪から抜け出すための答え、それが、ラッカにとっては鳥ということだったのか。 「じゃあ、レキは……」  訊くと、ラッカは恥ずかしそうにすこし笑い、 「わたしがレキの鳥」  と答えた。  私の鳥は、誰なのだろう……。 「そうだ。セツカに見せたいものがあるの」  部屋の左右に一つずつある扉のうち、向かって左の扉を開けた。  彼女に案内された部屋、そこは真っ暗な部屋だった。いや、よく見ると一面に闇夜が描かれているのだった。 「ここがレキのアトリエ。レキの見た夢。そしてこれが……」  ラッカは、部屋の奥にある、イーゼルにかけられていた白い布を取り払った。  そこに現れた絵は、穏やかな笑みを浮かべる眼鏡をかけた灰羽だった。歳はネムくらいに見えた。  あれっ? そういえば、この部屋の絵といい、この灰羽の絵といい、どこかで見たような……。 「この灰羽は、レキやクウが巣立つよりも、もっと前に巣立った灰羽。」  クラモリという名前だと彼女は語った。  ラッカは、クラモリという灰羽とレキの話をしてくれた。クラモリが巣立ったあとの、レキの罪憑きとしての過酷なできごとも……。  罪憑きの私にとって、おそらく聞いておかなければならない話なのだと思った。でも、まだ話を聞いただけでは、どうすればいいかなんてわからなかった。  私が弱音を吐くとラッカは、 「いいんだよ。今はまだ……レキだって、祝福を得るまで長い時間がかかった。いますぐなんとかしようなんて、考えなくていいの」  私の背に手を回し、深く抱きしめた。 「ねえ、セツカ。この部屋の絵を見てなにか気づいた?」 「うん」  私は、オールドホームのそここに飾られてある絵を思い浮かべる。それらの絵は、このクラモリの絵と同じような、温かく優しい作者の思いがあふれていた。  今、ラッカから感じる温もりと同じような温かさを。  私は……見守られているのかもしれない。  見たこともない灰羽に……。