幸せの果実 第零話  【雪・別れ・砂漠】  あたしには大切な人がいる。いつも一緒にいてくれる人がいる……。  白い雲が落下してきたような大雪の中、いつものように彼女はあたしを導いてくれていた。  握る手からは、優しい温もりがあふれてくる。雪が体温で溶け、冷水になろうとも、その温かさは消えなかった。あたしが凍えてしまうのを守ってくれているんだと思った。 「ねぇ」 「なぁに?」 「あたしたちはどこへ向かっているのかな」 「分からないから歩いているのよ」  答えはそれだけ。だけど、彼女の優しい声音は、あたしをうなずかせるには十分すぎるほどだった。 「ねぇ」 「なぁに?」 「……ずっと一緒だよ」 「ええ、もちろん」 「約束だよ」  ずっと前にも同じ約束をしたような気がした。いつだったかは思い出せない。だって、昔のことなんて何も思い出せないんだもの。  ただ彼女のことが大切。それだけは変えようのない真実だってことは、あたりまえのように心の中に刻み込まれていた。 「……んね」 「え? なに?」  あたしは、彼女が突然口ずさんだ言葉を聞き取れなかった。  すると、いきなり突風が吹いた。吹雪は、雪の弾丸のように襲いかかり、目を開けることすらままならない。  ようやく吹雪が収まった時、あたしは大きな違和感を覚えた。  さっきまではあった、彼女の手の温もりが消えていた。  彼女の手はそこにはない。当然、彼女の姿もどこかへ消えてしまった。  雪は涙のようだ。冷たくて切なくて、その身を凍らせてしまった空の涙。  あたしの涙も凍ってしまうほどに冷たいんだろうな。  でも、その涙はどんどんと枯れていくんだ。だってほら、地面は砂だらけ。一面果てのない砂漠なのだもの。  空からは絶え間なく雪が舞い降りる。その儚い命を散らすように地面に吸い込まれて、しみとなることもなく幻のように消える。  あたしの涙だって……。  いつの間にか枯れてしまって。  ただ、彼女に会いたいという思いだけが、砂漠の熱のように、熱く心の奥底でメラメラと燃えていた……。 【雪・闇の底・花】  いつも彼女の手を握っていた。思い出せないけど、きっとそれは、ずっと昔からあたりまえのようにしてきたこと。  わたしが守ってあげなくては。そうしなければ、彼女は親鳥をなくした雛のように、孤独に病み、弱り果ててしまう。  白以外の色がなくなってしまったような雪原の上で、彼女の問いに優しい声で答える。  彼女がどう思っているのかは、握られた手の強さで分かった。わたしが彼女に声を発するたび、その圧力はほんの少しだけど強くなる。そのたびに、たよられていることを実感して胸が熱くなる。  でもそれは、つかの間の幸せなんだと分かった。わたしはもうすぐ、ここから離れなければいけない。彼女の手をいつまでもつないではいられない。  そんな予感が、既視感として頭をよぎった。そして、これはきっと本当のこと。  だけど、わたしはそれを隠した。 「ずっと一緒だよ」 「ええ、もちろん」  それはもっとも残酷な嘘だったのかもしれない。  そしてわたしは、罪の意識に耐えられなくなる。 「ごめんね」  呟き、私の手は離れていった。  また一人になってしまった。  彼女がいなくなってから気づく。支えられていたのはわたしの方だったのだと。  胸の中に大きな穴が開いたような、そんな気持ちだった。  雪は降り止む気配がない。その勢いはむしろ増していく。  わたしは雪原の上で横たわり、ただ自然のなすがままに従った。  身体が雪に埋もれても、わたしはずっと白い天井を見つめていた。  呼吸ができなくなることも、身体が凍ってしまうこともなかった。  はやく楽になりたかった。  白の天上は厚みを増して、やがて光は届かなくなる。  深い深い闇の中。わたしはずっとここで生き続けるのかしら。  そんなの……いや……。  涙が頬を伝った。雫は、やがて一粒の雨となって、雪のほんの一部分を溶かした。  雪が溶けた場所に、かすかな光が見えた。蛍の放つ光のように淡く鮮やかな光。  そっとなでるように雪をどけると、そこには一輪の花が咲いていた。  こんな場所にあるはずのない花。光り輝くそれは幻想か。  綺麗な花だった。いとおしげに触れてみる。しかし、その瞬間、花は命を吸われていくかのように枯れていき、先の美しさが、今は見る影もない。  どうして……。  今度は、まるでその花がよみがえったかのように、次々と光り輝く花があちこちに咲いた。  こんな狭い空間なのに、と疑問を抱く暇もなく、また新しい花々も枯れていった。  花は断末魔の叫びのような声を上げた。 「お前が枯らしたんだ」 「お前が」 「お前が殺したんだ!」 「枯れちゃうよ。助け……」 「なんでこんなひどいこと……をする、の……」 「いやだ。さわらないで!」 「……」 「……」  咲いては枯れ、咲いては枯れ、花々のうらみつらみが耳の中をこだまする。 「やめて」 「お前が止めるんだ!」 「そうだ、……でしまえ!」 「いやぁぁぁーーーーー!」  花々が私を包み込んでいく。枯れてもなお、その元凶の息の根を止めるために。そして、やがてわたしの意識は、先よりもさらに深い闇の底に沈んだ。 あとがき ダークファンタジー好きゆえに、あんなことになってしまったのですが、話が進むに連れて救われる話になっていく予定です。 しばらくは、すこし暗めの話が続きますが、読んでいただければ幸いです。 途中で、ほとんど独立した短編も書きますので、この鬱展開が苦手な人は、後の作品のみご覧になられると良いかもしれません。 大好きで大好きでたまらない灰羽連盟。稚拙ながらもその後日譚を描け、こうして公開させてもらえることだけでも幸せでなりません。 さらに多くの人たちが、グリの街、そしてオールドホームの灰羽たちを愛することを祈って……。