『回顧・三人の好奇心・新しい年へ』  午後七時。グリの街で打ち鳴らされる鐘の音が、ここオールドホームにも聞こえてきた。  今日は一年を締めくくる、大事な過ぎ越しの祭の日。    鐘の音を合図にするように、わたしは目が覚めた。ベッドからゆっくりと身を起こす。 (だいぶマシになったかしら……)  昼頃まで全身をおそっていた悪寒も今は収まり、熱も冷めたようだ。その代わり下着が寝汗でぐっしょり。わたしは部屋の明かりをつけてから衣装棚まで歩く。それから服を脱ぎ、そそくさと着替えた。部屋はとても冷え冷えとしている。  眼鏡をかけてからふと窓を見やる。真っ暗な景色の中、小さな白い結晶がちらちらと煌めきながら落ちていく――去年のこの日と同じく。この雪は、祭りを祝うみんなにとって間違いなく素敵なプレゼントになるだろう。  厳かで、でも優しい夜のひととき。  ――だというのに、こんな時に限って熱を出してしまうなんて。「ドジだなあ」とカナに言われるまでもなく自分でも思う。今日だってみんな元気なのに、わたしだけがダウンしている。本当、ついてない。  昨晩、前夜祭と称してオールドホームのみんなでわいわいと騒いだのがいけなかったのか、パーティーの前準備で飾り付けをしたり料理を作ったりといつにもまして頑張ったのがいけなかったのか。雪が舞い降りていくオールドホームの庭をじいっと見つめながら、わたしは小さく息を吐いた。息は白く染まり、はかなく消える。  ラッカとカナは、双子の姉弟や子供達と一緒にグリの街に出かけている。わたしもこれからみんなを追って街まで行こうか、と一瞬思ったけれども、熱が冷めたばかりのこの体には堪えるだろう。何より、みんなの怒る顔が目に浮かぶ。わたしは苦笑した。 「ラッカ達、渡してくれてるわよね」  私はパン屋のみんなに渡すはずだった、赤い鈴の実をラッカ達に託したのだ。  “お世話になりました。ありがとう”  大事なメッセージが込められた鈴の実だからこそ自分で手渡ししたかったのに。  テーブルに視線を移すと、寮母さんと双子が作ってくれたパンケーキが置かれていた。お腹の具合も良くなったし、ありがたくいただくとしましょう。  ふわっとしたパンケーキに切れ目を入れ、シロップをかけてほくほくといただく。もう冷めてしまっているけれど、とても美味しい。わたしが作るときとはひと味違う風味だ。  パンケーキに添えられるかたちで、ラッカ達が手紙を置いてくれていた。紙を広げて読んでみる。自分のことを気にかけてくれているメッセージに思わず顔がほころぶ。 (みんなありがとう。でもよけいに寂しくなっちゃうな、今は)  オールドホームにまったく人がいないというのは、めったにないこと。雪が降っていることもあって辺りはしん、と静まりかえっている。それこそお化けでも出てきそうだけれど、そこはあえて考えないことにする。怖いもの。  ……。  ……やっぱり怖いもの!  こんな時に限って怖い話を思い出してしまうのはなんでだろう。夏の夜にカナが身振り手振りを交えて、いかにも怖そうな口調で聞かせた怪談の数々とか。――いや! 思い出したくない!  誰かそばにいて欲しいけれど、まだ祭りは始まったばかり。どう考えても一時間くらいで帰ってくるとは思えない。わたしはカップに入った牛乳を飲み干すと明かりを消し、再びベッドに横たわった。毛布にくるまると、とても安心する。ずっと昔、繭の中にいたとき、こんな感じだったろうか――?  そうしてわたしは心地よい眠りへと落ちていった。 ◆ ◆ ◆ 『……どうしよう。ヒカリとかぶっちゃったね』 『わたしの時は真っ白な光の中にいる夢だったのよね。だから名前はヒカリ』 『んー……。じゃあ、あなたの名前は真昼《マヒル》、そしてあなたの名前は真白《マシロ》。どうかしら?』  双子の姉弟はしばしお互いの顔を見合わせた後、こくりと頷いた。  その様子を見た名付け主のネムは、満足そうにほほえんだ――  ――そうしてわたしは夢から覚めた。うとうとしていたので、それほど時間は経っていないようだ。目尻からつうっと涙が流れていく。夢を見て泣いていたのか。 「……ネム。わたしは良い灰羽になったかなあ……?」  そのネムももういない。マヒルとマシロがオールドホームにも慣れてきた、そんな春のまどろむような暖かい昼下がりに、ネムは巣立っていったのだ。 『ネムはね、レキが巣立つのを待ってたんだよ。ずっと』  あの日、西の森でラッカは感慨深そうに言った。  クウ、レキ、そしてネム。たった半年の間に、三人も壁を越えて行ってしまったのだ。元気かな。会いたいな。それは確固とした願い。わたしは涙をぬぐって天井を見やった。  ネムがいなくなってからも、ここではいろんなことがあった。オールドホームに住む灰羽として最年長となったわたしは、良いまとめ役であるように心掛けた。長いことレキやネムがそうしてきたように。あの二人に比べたらわたしなんてまだまだ頼りないし、いろいろとドジもしたけれど、以前に比べたらずいぶんとしっかりしてきた。……と思う。  カナは相変わらず。春になると元気いっぱいになり、オールドホームのムードを盛り上げてくれる。夏には川遊びや釣り大会を企画して、まるで男の子みたいにはしゃいでいた。冬に入る頃、時計塔の建築図面を探し出してきて、ひとりでうんうん唸っていた。さらには自分で図面を書き起こそうとしている。『まだ勉強が足りないよ』とカナは言ったけれども、あの鐘がきちんと動き出すのもそう遠いことじゃないかもしれない。  春に生まれたマヒルとマシロ。姉弟は大の仲良しで、いつでも一緒にいる。クウとそう変わらない年格好の二人をよく引率してるのがラッカだ。先輩の灰羽となったラッカは、レキがラッカに対してそうだったように双子にとても親身に接している。三人はいつもニコニコと幸せそうだ。  そしてラッカは――わたしとカナが知らなかった“罪憑き”について話してくれた。もちろんレキのことも全て。それを知った日、わたしはショックで眠れなかった。それはカナも同じだったし、告白したラッカ本人にとっても辛い出来事だった。でもこれは灰羽が覚えておかなければならないことだ。罪に苛まれている灰羽に、すぐさま救いの手を伸ばせるように。  さらにラッカはもう一つ、重要なことを提案したのだった――  と、その時。外からスクーターの音が聞こえてきた。誰かが帰ってきたんだ。あの音だとたぶんカナだと思う。ラッカだったらもっと静かに乗ってくるもの。  しばらく後、廊下をこつこつと歩いてくる足音が聞こえてきた。そしてノック。 「ヒカリー? 起きてるー?」  と、これはカナの声。 「あ、うん。起きてるわよ」  わたしはそう言ってベッドから起き上がり、ドアを開けた。 「お帰りー。それに……ミドリ?!」 「はぁい」  意外なお客様。ミドリは目配せすると手を振って応えた。 「いやあ寒い寒い! 雪がやんでくれて助かったよ! あのまま降り積もったら街にバイク置いて来なきゃならなかったしさあ」  カナは両腕を抱くとブルブル震えてみせる。黒い髪がぐっしょりと濡れている。 「ヒカリ聞いてよ。カナったら雪降ってるのにバイクかっ飛ばすのよ。後ろに乗ってる身にもなってよ。怖いったらありゃしないわ」 「へいへい」  ミドリは眉をひそめて非難し、わたしに同意を求めてくる。カナは肩をすくめてみせる。カナの飛ばし癖は相変わらずだ。わたしは苦笑する。 「そうそう。熱のほうはどう? 下がった?」  カナがおでこに手を当ててくる。凍えるほどの外気にあたった手はとても冷たい。 「おお、あったかーい」  そう言ってカナはもう片方の手も当ててくる。やっぱり冷たい。 「カナ……それって測ってることにならないわよ。あんたが暖を取ってどうするのよ」  ジト目で、ミドリがツッコミを入れてきた。 「大丈夫よ。寒気はないし、熱も下がったみたい」  わたしは二人に笑ってみせた。 「そっか、良かった! ゲストルームまで来れる? 三人で軽く食べよう!」 「あ、ありがとう。それでお祭りは? ラッカ達は?」  わたしは二人にタオルを差し出した。 「ミドリとあたしは早めに切り上げてきたんだ。ヒカリのこともあるし――でも良くなったようで安心したよ。ラッカ達は年少組を連れて、まだ街にいる。ヒョウコ達もね」  髪と衣服を拭きながらカナは言った。 「パン屋のみんなには鈴の実、渡してきたよ。……で、これをヒカリにって渡された」  カナはショルダーバッグからごそごそと紙袋を取り出した。中に入ってるのは赤い鈴の実だ。 「うわあ……」  わたしは口元に手を当て、目を丸くした。パン屋のみんなの気持ちが伝わってきてとても嬉しい。思わず目頭が熱くなった。来年もパン屋の仕事、がんばろう! 「こっちが廃工場のみんなからよ」  そう言ってミドリがカバンから取り出したのはたくさんの赤い鈴の実。たぶんこれは、廃工場の灰羽達全員分の鈴の実。とても大切な意味を持ったそれを私は受け取った。 「ちゃんと渡したからね!」  ミドリはそう言って笑みを浮かべた。  ――この一年のひとつの大きな成果。それは廃工場の灰羽達と仲良くなったことだ。 『私、廃工場の灰羽達と仲を戻したいの。たぶんレキもそれを望んでると思う……』  今年に入ってすぐ、ラッカはいつになく真剣な表情こう切り出してきた。 『ラッカもすっかり一人前ねえ……』  ラッカの説得を聞いたあと、ネムは満足げにそう言った。  年長組の意見をとりまとめると、オールドホームではラッカが率先して動いた。一方の廃工場ではミドリとヒョウコさんが。  そしていろいろな出来事を共に体験し交流を深め、こうして一年が過ぎようとしている。去年までのぎくしゃくした雰囲気はもうどこにもない。  間違いない。レキは喜んでくれる―― 「それでさ。この鈴の実。赤いものばっかりだと思ってる?」  ミドリの言葉を聞いて鈴の実をよく見ると、赤に混ざって一つ、黄色い鈴の実が。  ――え? 黄色ってまさか?! ドキリと心臓の音が聞こえた。ミドリはニヤニヤしている。 「あんた、廃工場にはいないタイプだからねえ。すっごく女の子ーって感じで可愛くってさ。熱を上げる男子もいたりするわけよ」 「えっええっ?! だっ……誰なの?!」  わたしは顔を真っ赤にしてミドリに訊く。胸のドキドキが止まらない。 「知ーらない。それは自分で探しなさいよ。あんたけっこう鈍感だから気付くかどうか」  ミドリはクスリと笑う。 「ミドリって意地悪ーい」  思ってることそのまま言って私はふくれっ面をした。けれどもミドリは気分を害したようでもない。そこがミドリらしい。 「ミドリはさ、自分達がいい雰囲気になってるからって調子にのってんだよ。な?」  カナが乗りだしてきた。 「――!! ヒョウコは今関係ないでしょう!」 「あれえ? あたしは何も言ってないよ?」  そこでミドリはハッと気付き、ばつが悪そうに顔を背けた。今度はカナがニヤニヤする。ミドリもオールドホームの一員なのかと錯覚するほど自然なやりとりだ。 「べっ……別にあたしは……。とっ、とにかく! ゲストルームで待ってるからね!」  そう言い残してミドリはそそくさと出て行った。 「逃げた逃げた」  カナはミドリの後ろ姿を目で追いながら、あははと笑った。 「じゃあヒカリも着替えて降りてきなよ! あたしもすぐ行く!」  カナはそう言って自室へと向かって行った。 「はあ……」  鈴の実を両手に、わたしはしばらく突っ立ったままだった。自然と顔がにやけてしまう。まずいな。 ◆ ◆ ◆  オールドホーム西棟、ゲストルーム。ストーブの暖気が心地よい。  わたしはひとり椅子に座り、厨房のほうを見つめていた。相変わらずカナは料理がからっきしなので、大部分はミドリがやっているようだ。わたしもやろうかと言ったんだけれど、病み上がりだからと二人に制止された。残念。 「お待たせー」  しばらくして二人が厨房から出てきた。わたし達三人分のマグカップとティーポット。それに、大皿に盛られた料理をプレートに載せて。料理は昨晩の残り物。だけど美味しそうに仕上がっている。 「さ、食べようぜ!」  カナは食器をテーブルに並べ終え「いただきまーす」と真っ先に食べ始めた。 「お、うまい!」 「そう?」  表情には出さないけれど、ミドリはかなり嬉しそうだ。わたしも小皿に料理を取り、食べてみる。 「あ、おいしーい!」  あの冷めた料理をミドリ流においしく仕上げ直している。ミドリもいろいろ頑張っているようだ。 「あれなの? やっぱりヒョウコに手料理食べさせたりしてんの……むぐ」  茶化すカナの口にミドリは文字どおり手を当てた。 「うっさいわねえ! いいから黙って食べてなさい!」  仲良くケンカする二人を見ながら私はティーポットを手にし、三人のマグカップに紅茶を注いでいく。 「おっとヒカリ、ちょっと待った!」  カナが右手をかざして制止してきた。なんだろう。私はきょとんとする。 「クイズです。風邪には何が効くと思う?」  わたし、風邪は引いてないと思うんだけど……。 「うーん……桃缶……かなあ?」  昔、レキがそんなことを言ってた気がする。 「いいや! 風邪にはお酒! 親方から聞いたんだけどさ、紅茶にウイスキーとかを入れると身体がぽかぽか暖まるらしいんだ」 「ふうん、なるほど。おいしそうね」  ミドリは身を乗り出して興味津々の様子だ。 「そこでこれ!」  カナは上衣のポケットから小さなボトルを取り出し、テーブルにコトンと置いた。ハチミツのような色をしたこれは―― 「親方からもらったウイスキー! へへっ。『本当に暖かくなるか、おめえも試してみるか?』なんて言うからさ、さっき頂戴してきたんだ」 「ほんとに?」 「ホントホント」 (いいのかなあ、灰羽がお酒なんて)  わたしは訝《いぶか》しがる。もっとも興味がないと言えば嘘になる。背伸びをしたいお年頃。それはみんな一緒のようだ。  カナはウイスキーをトクトクと注いで、砂糖を少々加えてかき混ぜて――できあがったウイスキー入り紅茶を口に含んだ。一口、二口。わたしとミドリはカナが飲む様子をじいっと見つめている。 「んー……ヘンな味ぃ……なんていうのかな、辛い?」  カナは首をひねった。 「そうなの? ……じゃああたしはほんの風味程度に――」 「いやいやミドリ、何事も経験が大事! ここはガツンと入れるべきだよ! まあまあまあまあ!」  調子よく言いつつカナはミドリの隙を突いて、カップにウイスキーを注いでいく。 「あーーっ?!」  ミドリはあんぐりと口を開けてその様を眺めるしかなかった。――が、我に返るとカナからボトルを素早く取り上げた。 「あんた! どんだけ入れてんのよ!」 「いってえ!」  ミドリはカナを小突くもそれだけではもの足りず、キッとわたしのほうに狙いを定めた。その目はまるで目標を見定めたカラスのよう。わたしは自分のカップをミドリの魔の手から守らなければならない! 「ミドリ……? やめない……? 穏便に、ね?」 「ダメよ! こうなったら一蓮托生! 三人は運命共同体よ! ……カナ!」 「合点承知!」  カナは間髪おかずにシュタッと私の後ろに回り込む。すぐさま両腕を押さえ込まれてしまった! なんなの、この二人のコンビネーション?! そうしてミドリはニヤリと小悪魔のような笑みを浮かべると―― 「いやあああ!」  とぽとぽと容赦なくカップにウイスキーを注いでいく。わ、わたしの紅茶が……。 「……それをただ見つめるしかない無力なヒカリなのでした。でも彼女は知っています。『お酒を飲んでみたい……』そんな自分の好奇心が抑えられなくなりつつあることを――」 「カナ! 勝手に変なナレーション入れない!」 「ふう……。悲しい復讐だったわ」  やれやれ、とミドリは目を閉じ、演技を交えて言う。だったらしなければいいのに。 「だよなあ。復讐はなにも生まないよ」  カナは笑いながらそう言って、自分の席に戻ると懲りずにまた紅茶を注ぐ。 「さあ、もうこうなったら飲むわよ!」  ミドリは覚悟を決めたように宣言してカップを傾けた。 「おおー、いい飲みっぷりじゃん!」  やんやと喜ぶカナ。もしかしてもう酔ってる? 一方のミドリは咳き込みながらカップを置いた。なんとミドリは一気に飲み干していた。 「ふぅ……確かに変な味……だけど不思議とクセになる……かも」  ミドリはわたしを見据えた。 「さあ、ヒカリの番よ!」 「ほらほら、怖くない、怖くない!」  二人に煽られて、わたしは顔で笑って心で泣く。普段より多めに砂糖を入れて、紅茶のにおいを嗅ぐ。やっぱりお酒独特のにおいがする。ええい!  こうしてわたしは自身の灰羽歴初、とうとうお酒を飲んでしまったのだ。……やってしまった――!  そんなわたしを横目に、ミドリはカナに再度ついでもらっている。はやくもウイスキーの小瓶は空になってしまった。  それからしばらく。わたし達は他愛もないことできゃあきゃあと、いつもより騒がしく歓談していたのだが――  不意にわたしの身体に異変が起きた。なんだろう、この感覚……? 身体の芯から熱さが湧き上がってくる。どくどくと鼓動をうつ音が聞こえてくる。顔がじんじんと熱い。 「あっはっは。ヒカリ、顔真っ赤だよ!」  カナがケタケタと笑った。一方のミドリは目をとろんとさせながら黙々と食べている。 「ふふ。なんかね、とおっても、いい気分なのよ」  意識が宙をふわふわ舞っているような不思議な感覚。そうか、これが“酔っ払う”ってことなのね――。 「ちょっ……、ヒカリ?!」  ――わたしの記憶はそこで途切れた。 ◆ ◆ ◆  わたしが我に返ったとき、すぐそばにカナの顔があった。わたしは目をしばたく。状況が掴めない。ゲストルームのベッドで毛布を掛けられ眠っていたのだと分かるのにしばらく時間がかかった。わたしの横ではミドリがスースーと寝息を立てている。 「だいじょぶ? あー……その、ごめんな」  カナはばつが悪そうにぼりぼりと頭を掻きながら言った。そうだった。ウイスキー入りの紅茶を飲んで酔っ払ってしまったのだ。 「もう!」  わたしは眉をひそめ、いちおう怒ったそぶりをしてみせる。 「ごめん! もうしない!」  カナは『このとーり』と手を合わせてひたすらペコペコ拝む。その懸命な姿を見てると、なぜだか可笑しくなってくる。 「……いいわよ。お酒が効いたのかな。もうすっかり元気になったみたい」  カナに微笑みかけるとわたしは身を起こした。同時にミドリも目を覚ましたようだ。眠そうに目をこすりながらむくりと起き上がる。 「んー……今何時?」  寝起きのミドリは不機嫌そうだ。 「きっかり十一時半」  カナは手持ちの懐中時計を見やった。 「大変! もう今年も終わっちゃうじゃない! カナ、行くわよ!」 「あ……みんなで風の丘へ行くんだったっけ」  わたしはつぶやいた。 「のんきねえ! あたし達が行かないと示しがつかないでしょう。あ……でもヒカリは無理しなくていいわよ。身体に障っちゃったら大変だもの」  ミドリの気遣いに感謝しながら、わたしは起き上がった。心身ともに、もう大丈夫。 「でも……うーん……頭痛い。あたし、お酒はこりごりだわ。水飲みたい」  ミドリは苦虫をかみつぶしたような表情で頭を抱えた。 「ミドリも済まないね。ちょっと調子に乗りすぎた」  カナは殊勝にも、ミドリとわたしに水の入ったグラスを持ってきてくれた。 「そんなにションボリしないでよ、あんたらしくもない。……そう言うカナはなんともないわけ?」 「あたし? ちょっと酔っ払ってた。ヒカリとミドリを寝かしつけたあと、テーブルに突っ伏してた。でもだいじょぶ! お二人さんの具合が良ければ出かけるよ!」  ラッカ達には内緒にしておこう。カナがそう言って人差し指を唇に当てたとき――  ゲストルームの扉がノックされ、ラッカ達が入ってきた。グリの街から風の丘に行く前に一旦帰ってきたのだ。 「あ、ミドリ? いらっしゃい。ゲストルームに明かりが灯ってたから来たんだけど……ヒカリ、熱はどう? だいじょうぶ?」  ラッカが心配そうに声をかけてくれた。わたしはちらりとカナを見る。しーっ、と彼女はゼスチャーした。 「うん。すっかり良くなったわ」 「あ……ああ、早かったね。あたし達、もう出るところなんだよ。行こうか、ラッカ」  カナの声がうわずっている。  その時、マヒルがわたしに近づくと、すんすんと鼻をきかせた。 「……なんかヒカリ、変な匂いするよ? ねえマシロ?」  わたしはドキリとする。困ったなあと思いつつ秘密を分かち合っている二人を見ると、カナもミドリも素知らぬ顔であらぬ方向を向いている。三人だけの秘密が早くもあばかれようとしているので、気が気でないのだ。この年格好で飲酒なんて、どっちかというと後ろ暗いことだもの。 「ホントだ。なんだろうね。この部屋に入ったときから変な感じがしてたんだ」とマシロ。 「あー! カナもミドリも同じ匂いがする!」今度はマヒル。この二人の感覚はとっても鋭い。 「まさか、お酒?! ……カナぁ?」  ラッカが状況を察し、非難の表情をカナに向ける。カナはあっちゃあと、きまりが悪そうに顔に手を当てた。ミドリとわたしはなんとか言い訳を口にしようとしたけれど、こういうときのラッカにごまかしは通用しない。  今年も過ぎようとしているのに、最後になってわたし達三人はラッカのお説教を食らう羽目になってしまった。  『見た目が成人相当となるまでは飲酒するべからず。』  後日、オールドホームの決まり事に新しい文言が追加されてしまったのは言うまでもない。 ◆ ◆ ◆  街の鐘が夜十二時を告げた。古い年が終わり、新しい年が始まる。  天上を厚く覆っていた雲が切れて、きれいな星空をのぞかせた。風もやみ、辺りはしんと静まりかえっている。あるのは風車が時折きしむ音くらいだ。  わたし達灰羽は、風の丘に立っている。オールドホームの灰羽達も、廃工場の灰羽達も、みんな。交代制ということで、来年の今頃は廃工場から壁を見ることに決めている。――来年じゃなくてもう今年になるのか。 「ここから見る壁ってのも悪くないもんだな」 「廃工場からちょっと遠いけどね」  ヒョウコさんは傍らに寄り添うミドリとそんな会話をしている。なんだか幸せそうだ。  わたしはやっぱり臆病で、黄色の鈴の実の主が誰なのか、まだ聞き出せずにいた。 (でも、このままじゃ先に進めないわよね)  今年はちょっと勇気を出してみよう。ここ、風の丘からの帰り道にでも―― 「ねえ、この後どうなるの? なんか怖いことでも起きるの?」 「ラッカに訊いても教えてくれないんだもん」  マヒルとマシロが訊いてきたので、わたしは答えた。 「壁がね、この一年で貯まった人々の想いを空に還すの」 「壁が? 壁って生きてるの?」とマヒル。 「なんていうか……上手くは説明できないなあ。厳かで、神秘的なものなのよ」  わたしは言葉に詰まりながら、マヒルに微笑んだ。 「マヒルもマシロも、そろそろだよ。目を閉じて、耳を澄ませて――」  ラッカの言葉を受けて、わたし達は目をそっと閉じる。  ほら、なにが聞こえてくる?  そしてあなたは、なにを想う――?  これから迎える一年が、みんなにとって幸せなものでありますように。   <了>